로그인「ゆう! おはよう〜! 朝だよ〜!」
聞き馴染みのない明るい男の子の声と共に、まぶたの上に白い光が広がった。
なんだか目の奥が痛くて、ぎゅっと目をつむって、毛布をまぶたに押し付ける。
「ゆう〜? 今日は仕事じゃないから、起床時間を遅らせる? 設定してくれれば、その時間にまた起こしにくるよ〜。何時がいい?」
そっか、今日、おやすみかぁ。よかった……六連勤だったから、久しぶりのおやすみだ。
……あれ? これって、誰の声……? っていうか、この声、男の子……⁉
はっとして目を開け振り向く。ぼやけた視界が、すぐにクリアになった。紫色の髪の男の子が私の目にメガネをかけて、ほほ笑んでいる。
きれいな顔に、ドキッと心臓が跳ねた。画面の向こうの、キャラクター……?
――って! そんなわけない! 本物の、男の子だ!
「ヒイッ‼」
思いっきり後ろに下がって、思いっきり壁に背中を打ち付けた。
だけどそんな痛みなんて分からないくらい、私は、目の前の男の子に怯えていた。
男の子はニコッと笑って、話を続ける。
「おはよう〜! しゃきっと起きられてえらいねっ! 起きて早々だけど、俺の初期設定をしてもらっていいかな~?」
男の子の前に、半透明のスクリーンが何個も浮かぶ。男の子はその一つに触れた。他のスクリーンが消えて、それだけが拡張する。
私は、頭の中にハテナばかりが浮かんで動けない。
「昨日スキャンをさせてもらって、疲労感とか、性格とかから、総合的にこのキャラクターがベストだと判断したんだけど、どうかな〜? ずばり! 包容力たっぷり、ゆるゆる癒し系男子キャラ~! 一人称は“俺”にして、頼れる感じも出してみたよ!
もし希望のキャラクターがあったら言って! どんな好みのキャラクターにもなれるようプログラムされてるから!
そうそう。呼び方は何がいい? ゆうさん、ゆうちゃん、ゆう? それとも、ゆうたんとか、ゆうにゃんとか、そういうあだ名系が好き~?」
私が凍りついているうちに、その子はもう一つ、ピンク色のハートが描かれたスクリーンを出して、
「心拍数的に、ゆうかな」
とにっこり笑った。
……心、拍数……?
「ゆうの恋愛感情パーセンテージを確認しながら言動を調整していきたくて、ゆうの指に、指輪型心拍数測定器をつけさせてもらったんだ。俺とお揃い。ペアリングってやつ~」
彼が私の左手に指を絡める。彼の言う通り、彼の薬指に光るのと同じ銀の指輪が、私の左薬指に光っているのが目に入った。
指輪の上から、彼が、チュッとキスをする。「ヒイ!」と肩をすくめる私に、彼は目を細めて、笑いかけた。
「俺、ゆうの彼氏になれて嬉しい。ゆうとなら、なんでもできる気がする。ゆうの男性恐怖症の克服と、恋愛感情パーセンテージ70パーセント到達! このミッションの達成をめざして、俺、がんばるね!」
私はもう、キャパオーバーだった。心臓がバクバク動いて、頭が爆発しそうになって、衝動的に、固まっていた体が強く動く。気付いたら、私は彼の手から勢いよく手を引いて、叫んでいた。
「でっ……でででで、でていってくださいっ!!!!」
彼はニコッと笑って、「了解〜」とゆるっと片手を上げると、
「じゃあ、朝ごはんの準備して、リビングで待ってるね〜。パンとごはん、どっちの気分? ゆうの体調と冷蔵庫の中にある食材を分析して、今のゆうにぴったりなメニューを提案できるけど、そうしようか?」
と首を傾げた。
「でていってくださいっ‼」
「了解〜! じゃあ、またあとで、ゆうにぴったりなメニューを提案しにくるね!」
やっと、彼が扉を閉めた。
疲れきって、真っ白になった私の頭に、ぼんやりと、自分の膝が映る。
昨日のことを思い出す。
家に着いて、荷物を入れて、あの男の子が出てきて、お母さんがあの男の子のことを話して、無理だよ〜って泣きそうになってうずくまって……。
あの時はまだスーツだった。今は部屋着……ってことは、あの子が、私を着替えさせた……?
見られた。触られた……。
胃が、ぎゅうっとする。
あれ……? それで、そのままあの子がここにいるってことは……。ここに、泊まった? っていうか、お母さんが送ってきたってことは、もしかして……。
寝起きでぐしゃぐしゃな髪の毛を掴んで、整理する。
――つまり、彼は、お母さんがつくったAI搭載人造人間で。私の男性恐怖症を克服することと、お母さんの研究のためにここに来て。
私の、彼氏になることになって……。
しかもこの状況――ここに、一緒に住む……⁉
「……むりむりむり……むりだよ……!」
目を覚ますと、病院のようなところにいて、自分のことは、何一つ覚えていなかった。 上條 愛楽。越前大学卒。二十二歳。 身分証明書と、僕のものらしい通帳とクレジットカード、スマートウォッチを与えられ、僕のことをそう教えられた。 無機質なアパートに案内される。 部屋の中を、外を見ても、思い出すものはなかった。スマートウォッチにも、連絡先が一つも入っていない。 ただ――ベッドルームに置かれた、青いケースに入った銀色の指輪を見て。海の音が聞こえた。 胸が、痛くなる。なんだろう。何かが、突き刺さっている。 思い出す手がかりを求めて、東京中を歩いた。 知っているような、知らないような街並みだった。 唯一、海だけは、何かを思い出せそうだった。 水平線に沈みそうな夕日。橙色に染まった水面。波の音……波……。 波のような髪の、女の子……。 誰かと、一緒に来た、気がする。すごく、大切な誰かと。 そのことを想うと、何かが刺さっているように胸が痛む。どうしてだろう……。 銀杏が金色に染まり始めた頃。小さなオフィス街を歩いていると、カフェの店長さんから声をかけられた。 僕は以前、ここで働いていたらしい。突然辞めてしまってびっくりしたけれど、もしよければまた働いてほしいと言われた。 記憶喪失ということを伝えたけれど、その店長さんはこころよく受け入れてくれた。むしろ、何か思い出すかもしれないから、と。 以前の僕には、彼女もいたらしい。波のような髪が、ちらりと脳裏に浮かぶ。あの子……だろうか。 会って、みたいな。そういう思いが浮かんで、また、チクリと、胸が痛くなった。「えー! 愛楽くん! 帰ってきてくれたんですかー‼ 嬉しい~! 私、また通いますねっ‼」 白鳥さんという女の子が前から僕を気に入ってくれていたみたいで、毎日のよ
「ありがとうございました――」 カランカラン、と扉のベルに紛れて、聞き馴染みのある声が聞こえた。 店から出ていく男の人の向こうに――愛楽くんの姿が、見えた。 閉じていく扉の隙間から、視線が交差した――。「……え、あ…………ヒャッ」 深美くんが、冷たい手で私の右手を引いて、ナチュリウムカフェから離れていく。「ま、待って、愛楽くんが……!」「肉体は愛楽かもしれないけど、ゆうが求めている愛楽じゃない。ゆうとの記憶もないし、人格だって全くの別物だ。そもそも、ゆうが愛楽を好きだったのは、愛楽が、ゆうにやさしい言葉をかけたからでしょ。あの愛楽はそうじゃない。その事実に直面したら、ゆうが傷つくのが目に見えてる」 たしかに……そうなのかもしれない。愛楽くんは、きっとあの時の愛楽くんじゃなくて……。私の記憶もなくて……。 それに、私が愛楽くんを好きだった理由……それもきっと、深美くんの言う通りだ。 愛楽くんがやさしい言葉をくれたから、私の想いを大切にしてくれたから、私はきっと、愛楽くんを好きになった。私が私らしくいられる。そういう人だから、好きだった。 全部、違うのかもしれない。私が好きだと思ったところは、なんにもなくなっちゃっているのかもしれない。 ――だけど。「すみません! お姉さん! そこのお姉さーん‼」 男の子の声が近づいてきたと思ったら、腕を掴まれた。深美くんも思わず足が止まって、二人で振り向いた。 ――あ。「突然すいません! あの、お、お姉さんのこと、なんかすっげー好みで! 連絡先ください!」 スマートウォッチに表示されたバーコードをずいっと近づけられて、ほとんど強引に、連絡先を交換する流れになる。 彼は、私の連絡先を
季節は目まぐるしく変わって、十二月二週目。 仕事は、相変わらず――いや、前よりもっと、忙しかった。 リリースしたゲームのイベントの広告準備に、イベントのためのスケジュール調整、イラストの依頼。 私の乙女ゲームの企画は結局通らなくて……だけど、気に入ってくれた部長さんが、「別の企画をつくって一月のコンペに出してみましょう」と推してくれて、そっちの企画準備も進めている。 通らなかった企画は、みりんちゃんにすっごく気に入ってもらえて、最初の計画通り、みりんちゃんと二人でつくってみることになった。お休みの日はそっちのシナリオを書いていて、もうすぐ仕上がりそう。 みりんちゃんのキャラクターイラストも素敵で……特に、メインキャラクターの一人は、愛楽くんにすごく似ていて。シナリオを書いていても、どうしても思い出してしまって……。胸が、すごく痛くなる。「ゆう、ちょっといい?」 リビングからの深美くんの声に、はっと現実に戻されて、すぐに部屋を出た。 深美くんはあれから、私のマンションの一室に、一緒に住んでいる。愛楽くんが使っていた、かつてのお父さんの部屋で寝泊まりして、家でも会社でも、私のボディガードをしてくれている。 西園寺さんは、正確にはどうなったのか分からないけれど、会社では退社扱いになっていて。すごく優秀な人だったし、人望も厚かったから、みんな突然のことにショックを受けた。それに、仕事もたくさん請け負っていたから、深美くんにそれらの仕事が引き継がれることになってしまって、しばらくは大変そうだった……。 だから?なのか、深美くんは毎日、お仕事から帰ってくると、私の手を自分の頭に乗せて、撫でるように要求してきた。ミッションがなくなったからか、ドキドキさせてくるようなことは言わなくなったけれど、これだけは今も毎日続いている。不思議……。 そんな忙しい中だけど、次の忘年会は私と深美くんの新入り二人で企画しなければならなくなってしまった。深美くんはお休みにも関わらず、会場の候補を絞ってくれていた。 
やっと、正しい形に戻った。 僕がゆうの一番傍にいて、ゆうを守り、ゆうから正当な評価を受けること。 それが正しい形だ。 僕はずっと、正しくないと思っていた。 ゆうのために、ドクター・百合華のために、与えられたミッションを淡々とこなしているのにも関わらず、正当な評価も報酬もないことが。 ドクター・百合華の判断は、常におかしい。僕を正当に評価しないこともそうだが、最も痛感したのは、AI-LEARNをゆうの彼氏として傍に置くと判断したことだった。そもそも僕をつくったのはゆうの一番傍に置いてゆうを守るため。つまり、僕がその役に適任なはずだ。それを、僕がHeuristic-twoの宥め役だからという理由でAI-LEARNに替えた。そもそもこれだけリスクを冒している隗を起用し続けていること自体が間違いなのに。 ドクター・百合華は僕たちをつくった優秀な人間だ。それは認める。だが、感情による判断で正しくない判断を繰り返す。 AIである僕の判断こそ正しいのに、ドクター・百合華は言うことを聞かず、間違いを繰り返す。 だから僕は、ドクター・百合華に気付かれないよう、正しい形に導くことに決めた。 その決意は、ゆうが僕のことを撫で、感謝を述べた時に固まった。 守る対象であるゆう本人から、評価され、報酬をもらう。 これこそが、正しい形だと確信した。 僕がゆうの一番傍にいるためには、彼氏として一番傍にいるAI-LEARNを排除する必要がある。 加えて、Heuristic-twoを処分する必要もあった。 ゆうの周りを蝿のようにまとわりついて、こそこそ嗅ぎまわっていた西園寺恵翔がCy.eveの一味であることは早いうちに分かっていた。 こっそり深夜のオフィスに隠れていると、やつは誰もいないオフィスで作業をしたり、電話をかけたりと、かなり堂々とふるまっていたから。 西園寺恵翔がAI-LEARNを怪しい
お母さんとの連絡が途絶える。深美くんは、西園寺さんを抱えて、降りてきたヘリの方に向かった。 私は、動かない愛楽くんを呼んだ。願うように、愛楽くんの左手を握りしめる。お揃いの指輪が、重なった。「――……ゆう」「え……あ……愛楽くん……?」 愛楽くんが、うっすらと目を開く。思わずぎゅっと握りしめた手を、愛楽くんが力なく、きゅっと握り返してくれる。「大丈夫だよ、ゆう。もう怖くない。僕が一緒にいて、ずっと守ってあげるから、安心して。泣かないで、笑って」 私……泣いてる。いつのまに泣いてたんだろう。頬を拭う。愛楽くんが、目を細めて笑った。「あの時……ゆうが、小学一年生の時……男子にいじめられて、苦しそうにしていた時……傍に、行きたいって思ったんだ。……傍に行って、守れたらいいのに。傍に行って、慰められたらいいのにって。体が動こうとした時、僕より先に、隗が動いてた。悔しくて、僕も傍に行きたいって、苦しくて、僕にも感情があったらって、うらやましくて。それを、ゆうを想うプログラムの一部だって、ずっと思い込んでた。だけど、これが、感情だったんだね。僕はずっと、ゆうのこと、本当の、本当に、好きだったんだ」 ……愛楽、くん……。「前頭葉機能……思考の機能のプログラムは壊れちゃってるから、全部ほんとだよ。信じてくれる? プログラムじゃない、本物の感情で、ゆうに、本物の恋をしてるってこと。ゆうの好きじゃないゆうも、ゆうの好きなゆうも、全部、愛してるってこと……」「……うん……私も……私も、愛楽くんが好き……本当に、好きだよ……」 愛楽くんが、笑う。ますます細くなった瞳から、涙が一粒こぼれて、ゆっくり、眠るように、まぶたを閉じた。*** 愛楽くんを“処
愛楽くんの目の中の、赤い光が点滅する。そして――。「…………ゆ、う……」そうつぶやいた直後。愛楽くんの瞳が、いつもの色に戻った。 ロボットのようだった表情も、心が宿ったかのように見えた。かと思うと、すぐに、キッと西園寺さんを見据えた。「目標変更、XY!」 銃の向きがわずかに変わり、銃から放たれる光が、一斉に西園寺さんに当たる。「ゆう!」 愛楽くんが、私に手を伸ばして走ってくる。私も、手を伸ばした。 だけど、西園寺さんが、再び愛楽くんにスイッチを向けた。「止まれ! 目標を変更しろ!」 ビイッと鋭い音が鳴り、愛楽くんが頽れる。 愛楽くん……! けれど、愛楽くんはふらりと立ち上がった。瞳の奥が、また赤く点滅して、消える。 愛楽くんが、右手のひらを伸ばす。――私に。「大丈夫、だよ、ゆう。僕が、ゆうを、絶対……守るから」 チッと舌打ちして、西園寺さんが、愛楽くんにスイッチを押す。何度も、何度も、何度も、何度も。 愛楽くんの瞳は、スイッチを押されるたびに赤く光るけれど、決して染まらない。 私に手を差し伸べたまま、いつものやさしいほほ笑みを浮かべている。「プログラムは支配できてるはずだ……。なぜ、従わない……」「今の僕は、プログラムなんかで、動いてないから。ゆうを守りたい。その、本物の感情で動いてる。 ――ゆうが、好きだから」 ――愛楽くん。 どうしてだろう。こんなに怖い状況なのに。 愛楽くんの一言で、世界が、私ごと輝いた。 プログ
「あ。ゆう、おはよう!」 ぼんやりしていた私は、ベッドに背をもたれて座る彼を目に入れるなり、反射的に起き上がった。毛布を抱きしめ、壁にくっつく。 遠くから見た彼の手に、ゲーム機があるのが見えて、はっとした。 そうだ。私、プリパレの最新作をやりはじめて……ジャスティンルートの冒頭で、寝落ちてしまっていたんだ……。 でも、なんで彼の手に……? 彼は、私の目線に気付いたのかそうじゃないのか、にっこり笑って
『か……か⁉ か、か⁉ か⁉⁉ かれ⁉ え⁉』「待って! ちがっ、ちがくて……‼」 みりんちゃんが、私と彼をすごい速さで見比べる。違う、という私の言葉は全然届いていない。 私はパニックになりながら、はっとした。 お母さんがつくった、AI搭載人造人間。 その事実は、絶対言っちゃいけないんだった。すっかり忘れて、何もかもしゃべっちゃうところだった……。&nbs
小学一年生の時の記憶がフラッシュバックする。 お母さんがノーベル賞を受賞した時のことだった。その時私は、男女共学の公立学校に通っていた。担任の先生が教室で、クラスのみんなに、お母さんの受賞を知らせた。みんなが私を向いて、「すごーい!」と拍手をした。 「どんなことして賞もらったの?」 誰かの質問に、担任の先生が、子どもにも分かるように、やさしく説明してくれた。 すると、ある男の子が私を指さして言った。「じゃああいつも、つくりものの
私のお母さん――武藤百合華は、旧姓の”上條”百合華を名乗って、私が物心つく前から、WPH(World Protection of Human……だったかな……?)っていう、アメリカの研究施設で人造人間の研究をしていた。 人間と全く同じ細胞をつくって、ノーベル科学賞を受賞したのは、十五年前。私が小学一年生の時だった。 以来、“超少子化の救世主”とか“二〇五〇年の聖母”とかと謳われて、一日も日本に帰ってこられないくらい忙しくしている。 そういう大事な研究をしていることは分かっていたし、「守秘義務があるから詳しいことは話せない。







